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小林 正観さん著【釈迦の教えは「感謝」だった】 感想レビュー│人間の悩み、苦しみを癒す方法とは

小林 正観さん著【釈迦の教えは「感謝」だった】 感想レビュー│人間の悩み、苦しみを癒す方法とはおすすめの本

人間は社会的動物であるが故に、職場、学校、家庭などにおいて「悩み」がどうしてもつきまとうものです。

しかし、出来れば悩みのない生活をして毎日笑顔で人生を楽しみたいものです。

では、その悩み、苦しみの本質とはいったい何なんでしょう。どうしたら悩みをなくし幸せに暮らしていくことが出来るのでしょうか。

お釈迦様が残した「般若心経」というお経を通して教える「苦」の本質というものは?

小林正観さん著の【釈迦の教えは「感謝」だった】には、その答えがとてもシンプルに語られています。心がスーッと軽くなっていくおすすめの1冊です。

【釈迦の教えは「感謝」だった】

「思いどおりにしよう」とするのをやめ、「受け容れる」

例えば、小林正観さんは1例を挙げてこんな風に言っています。

あるお母さんが言いました。

「子どもが不登校になってしまいました。どうしたらいいでしょうか?」

小林正観さんは、にぃっと笑って、答えます。

「ああ、やっぱり自分以外の者をなんとかしたいんですね。自分の問題ではないのですよね。結局、その子どもを自分の思いどおりにしたいんですよね。学校に行かせたいという自分の思いに従って欲しいだけですよね。」

確かに親は自分に、

「この子を学校にいかせなくては。」「普通の子と同じように学校に行って欲しい。」という思いがあるものです。(親心からですが…)

しかし、この「思い」があるものだから、不登校が悩み、苦しみになってくるのかもしれません。

その子が不登校という結論を選んだことを丸ごと受け容れてあげたならば、そこに悩み、苦しみは生じません。

つまり、自分以外の人間が自分の思いどおりにならないこと、そして自分の思いどおりにしたいことが、実は悩み、苦しみの本質であったのです。

子どもは不登校である間、自分の事を否定されずに、親がずっと見方でいてくれているということが分かれば、親を心から信頼して、心を開いてくれるかもしれません。

つまり大事なことは、

自分の思いどおりにすることではなくて、受け容れてあげること、受け容れることなのです。

小林 正観さん著【釈迦の教えは「感謝」だった】 より

般若心経を通してお釈迦様が伝えたかったこと

小林正観さんが解く、般若心経を通してお釈迦様が伝えたかったこととは、

人は何かを評価するとき、常に自分の側に「物差し」を持っている。その「物差し」とは、何かが正しくて、何かが正しくない、何かが成功で、何かが成功ではない、という自分だけの「思い」(価値観・概念)をベースとした「物差し」だ。

その自分の「物差し」を基準にして物事を考え、そうすべき、そうあるべきだ、という「思い」、考えをめぐらす。

よって、それが思いどおりにならないもの、つまり、自分の「物差し」からはみ出る事象を否定してしまう。

そこに人間の悩み、苦しみが生じるのだ。

お釈迦様は2500年前から既にこのことを気づいていらっしゃって、

「そういう思いを持てば持つほど、苦しくなるのですよ。つらくなるのですよ。ですから受け容れることが楽になる唯一の方法なのですよ。自分自身がいちばん楽になるのですよ。」

「自分以外のものを思いどおりにすることは出来ない。その思いどおりにならないことを、思いどおりにしようと思うことが、悩み、苦しみの本質なんですよ」

と伝えています。

「受け容れる」の先には「感謝」がある

「自分の思いどおりにならない現象を、自分の思うとおりに作り変えようとするにではなくて、それを淡々と受け容れること。それが結果的にいちばん楽で、自分にとって悩み、苦しみの少ない生き方である。」

しかし、実際のところ、「受け容れる」と言っても難しいかもしれません。そんなに簡単にはいかないんだよ、と。

最初は、嫌々受け容れることも多いかと思います。

けれども、実際に受け容れてみると、「問題だ、問題だ」と問題点ばかりに焦点をあてるよりも、はるかに楽になっている自分がいます。

受け容れることで、心がすぅーっと楽になり、今ある幸せに眼を向ける心の余裕が生まれてきます。

そして、ここに「感謝」が生まれてくる。

受け容れることの最高峰の状況が「感謝」ということになります。

釈迦の教えの究極は、実は、感謝することだった。ありとあらゆることに感謝することが受け容れることであり、受け容れることの最高峰が感謝なのです。

小林 正観さん著【釈迦の教えは「感謝」だった】より

例えば、病気になると気づくことがあります。

何も起きない、淡々とした日々が続き、普通に食事をし、普通に仕事に行き、普通に語らい、普通に生活をする、ごく当たり前の時間がいかに普通ではなく、「最高の幸せ、とんでもない幸せ」であった、ということに。

すると、病気に対しても「気づき、学び」を与えてくれてありがとう、という感謝の気持ちを持つことが出来るようになっていきます。

当たり前だと思っていた普通の暮らしにこそ、「感謝」すること、それが「受け容れる」ということに繋がっていくのでしょう。

まとめ

お釈迦様は、この世の悩み、苦しみは「自分の思いどおりにはならない」、ということを見抜いていらっしゃいました。

だから「受け容れればいいんだよ」と。実にシンプルな答えでした。

そして、受け容れることの最高の形態が「感謝」なのだと。

最後に、お釈迦様が残したこの言葉で終わりたいと思います。

人の生を受くるは難く  限りある身の   今   命あるは   有り難し

人が生を受けることは大変に難しく、限りある身(寿命がある)の現在、肉体をもらって生きていることが、本当に有りがたいものである。

結局、詰まるところ、「感謝」なんですね~。

他にも著者「小林 正観さん」は、このような心に響く言葉を、この本【釈迦の教えは「感謝」だった】の中で例をあげながら沢山語ってくれています。

もし興味があるようでしたら、ご一読してみてはいかがでしょうか。

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